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ダリアガーデンへようこそ

ハンドメイド・手作りマーケット tetote(テトテ)
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2014.12
19
CM:8

00:16
Category : 思ひ出
小さいときからメンソレータムは常備薬だった
何にでも付けた

父は髭剃り後によく付けていた
髭剃り器などというものはまだなかったので
剃刀で傷つけることもあったようだ

母は夜 水仕事が全部終わると割烹着を取り 炬燵にあたってこれを塗っていた
ああ母の仕事が終わったんだなあと思う 安らぎのひと時だった

風邪を引いて鼻の奥やのどが痛いとき
鼻の周りにべったりと付けて寝ると 痛みが和らぎ楽になった

手荒れがひどいとき これをしっかり塗って手袋をはめて寝ると
次の日はつるりとして 痛みも取れた

唇が荒れたとき これを薄く塗るとばっちりだったし
虫に刺された時も かかとのひび割れにも なんでも使った

ただ婚家では使っていなかったらしく オロナインが主流だった
夫は髭剃り後も 手荒れにも オロナインを塗った

それだけでなく いろいろな薬が出てきた

子育て中のころに 「ヴェポラップ」という薬が出た
塗る風邪薬という売り込みで 風邪の時胸に付けたり 鼻の周りに塗ったりする薬だった
メンソレータムのほうが効くのになあと思いながら
「スースー感」が柔らかったので 子どもにはそれを使った

手荒れにはアロエのハンドクリームというものが取って代わった
唇にはリップクリーム
虫刺されにはそれ専用の薬

そして今は 風邪もあまりひかないし 
手荒れもほとんどないし
唇も荒れない 
だからメンソレータムの出番がなくなり どこかにしまい込んでしまっていた
つい先日 終活だあ と押入れの中を片づけていたら
段ボールの中からこれが出てきた
もう使えないだろうなあと思いながらまたしまった




漠然と 
世の中は メンソレータム派とオロナイン派がいるのではないか
と本気で考えたことがある
大体がどちらでもいいのだろうが
風邪の時に使えるメンソレータムのほうが優っていると私は思っている





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2012.01
05
Category : 思ひ出
結婚したのが暮だったから
お正月に 年始の挨拶と結婚のご報告を兼ねて 夫の親戚に出かけた
田舎のことだし 正月ということもあってご馳走が並んだ
どんな料理だったかは忘れたが
お吸い物だけは覚えている

吸い物は お酒を飲んでいるうちに出される
その日出されたものには ゆで卵が入っていた
鶉の卵なんていう洒落たものではなく 
あの大きいにわとりの卵が二つに切られて入っていた
私は 卵大好き人間なので 喜んでいただいた

夫は 元々ゆっくり味わって食べるほうだから
卵は食べずに残していた
新婚の私は ああ もしかすると卵は好きじゃないのかもしれない
と漠然と思っていた


親戚の人が言う
「お吸い物 もう少しどうですか?」
「いやあ たくさんです」
「そんなこと言わないで どうですか?」
たくさんご馳走することが歓迎することだと思っているらしく 
断っても 勧める
「正月だから 美味しいものもないですけれど
 お吸い物だけでも もう少し いかがですか?」
「そうですか それじゃ」
「はい」
「あ それに 足してください
 汁だけ 足してください」
夫は根負けして椀を出した
卵は捨てるなと 念を押したはずだったのだが
帰ってきた椀には もう卵はなかった
汁と 二つ三つの具が浮かんでいるだけだった


そうなのだ
夫は卵は好きなので
後からゆっくり食べようと取っておいたのだ



それから私は子どもたちによく言った
「好きなもの 美味しそうなものは早く食べなさい
 どんな天変地異が起きても後悔しないように」




                           ② 終わり


2012.01
04
Category : 思ひ出
食い物の恨みは恐ろしいというが そんなお話



もう半世紀も前のお正月のこと 父が腸詰めを買ってきた
今でいうウィンナーソーセージというものだ
暮 父はそれを 得意顔で持ち帰ってきた
「腸詰だ
 うまいぞ
 食べてみるか
 福島では売っているところなんかないぞ」
よく外国の本に出てくる 腸詰 である
その挿絵に出ていたのと同じものである
「三つの願い」という話の中で おかみさんの鼻にくっついてしまった
あの ソーセージと同じ形をしていた

父はそれを町のお肉屋さんで手に入れた
その肉屋さんが自分のところで作ったのか
他所から手に入れたのかはわからないが
田舎で 本物のそれを見たのは 初めてだった

子どもたちは1本づつもらって 口にした

美味しかった
文句なし 美味しかった
初めてだったから 
添加物は何も入っていなかったから
作られたばかりだったから
理由はわからなかったが 美味しかった




話はちょっと横道に反れるが

その頃のお正月には 
各家庭に 仕事先の人や親戚 近所の人などがやってきたりするので
お節をお重に詰めて用意していた
三重のお重に 何が入っていたのかは忘れたが
何日か前から母が作ったものや
かまぼこ 伊達巻 昆布巻き きんとん 寒天などがきれいに並び
暮には用意万端整えられていた

その中に 腸詰は入れられた

そしてそのお重は 3日が過ぎるまで 家の者は手を付けられなかった


その頃 各家庭に冷蔵庫はなかったし
防腐剤やら 脱酸素剤などなかった時代だから
あまり暖房の効いていない家でも
いくら燻製されていたものであっても 日持ちするものではない

もう皆さんもおわかりだろう
4日 子どもたちに解禁されたその腸詰は
既に悪くなっていた

                                  ① 終わりです


2011.10
22
Category : 思ひ出
018_20111022084856.jpg


コタツを出しました
出したといっても テーブルに炬燵布団を掛けただけ
簡単に仕上がります


「炬燵」に関しては前に母 おキンちゃんの夫婦喧嘩について一度触れていますが
もっと小さい頃
市営住宅に住んでいた頃は「あんか」に炭を入れたものでした



その冬初めて炬燵に火を入れるのは「戌の日」に決められていました
父親の家の風習だったのか
母親の家のものだったのかは不明ですが
とにかく「戌の日」でないと ダメでした

そして 冬 それも12月にならないとダメでした

だんだん朝晩の寒さが強くなってくると
「炬燵出して!!」
と頼むわけです
するとおキンちゃんは 
「そうだねえ じゃ 今日何の日だろう」
私は本気になって カレンダーを見て戌の日を探します
するとだいたいそれから1週間とか10日とか 日にちがあります

ああ 
私は今になって それが節約だったのだと気がつきました
家庭生活に関してはしっかり者だったおキンちゃんが
冬の声が聞こえる前に 
戌の日は当然分かっていたのでしょう
ぎりぎりまで炬燵を出さないということが節約につながりました
だから 「今日は何の日?」と聞くタイミングを計っていたのです

洗濯も手洗いの頃で
断熱もしっかりしてない家の中に一日中過ごしていた母が
一番寒さを感じていたのです
ちょっと温まりたい って 思ったこともあったとはずなのに
少しでも炭を節約したかったのでしょう
世の中みんな貧しい時代でしたから
それは惨めでも何でもなかったのですが
今思うと 何か切ないですね


すみませーん
その娘の私は まだ10月だというのに炬燵を出しました

床暖房を入れて小一時間 
なかなか暖かくならないなあー 
とよく見ると 
大元のスイッチだけ入れて その下の各部屋に回すスイッチを入れるのを
見事に忘れてました


ああ 歳だなあ (エヘ!)





2011.07
17

TB:0
15:00
Category : 思ひ出
胡瓜の古漬け

1か月ほど前 
亡くなってから初めて母の夢を見た
そう もう12年にもなるのに 初めて夢で姿を見た

母は 自分で縫った夏の簡単服を着て 髪は短くチリッとパーマを掛けて 
台所にいた
何か一生懸命お湯を沸かしているような
水を出して洗っているような
背中を丸くして 行ったり来たりしていた
「何してるの そんなに一生懸命しなくても・・・」
「いやあ 水が止まると大変だから・・・」
「うん それはそうだけど・・・」
たったそれだけの会話だったけれど 母は胡瓜の古漬けを作っていたのが分かった
震災には遭わなかったのに断水したことが変に夢の中に入っている

夏から秋にかけて胡瓜がもう終わりになる頃 形もそろわなくなるが値段が安くなるので
農家の人に頼んでおいて大量に買い 漬けていたのだった
塩水を煮立てて熱いままきゅうりにザーッとかける
重石をし 何日かおくと水が上がりうっすらと白くカビがくる
そうするとそれを洗いまた塩水を煮立ててかける
それを何回か繰り返すと青々とした胡瓜は茶色のしなびた胡瓜の古漬けになる
冬胡瓜がなくなる頃 それを刻んで塩抜きをし食べるのだが
母はそれを一生懸命作っていたのだ
最後の家の台所だった

私はその作り方を受け継がなかった
作り方が分からないわけではないのだが うまく作ることが出来なかった

一昨年は 従兄弟の初盆だった
染物はやっていなかったが 母の実家の跡取りだった
そこに行ったとき 
奥さん・・母にしたら実家のお嫁さんだが・・がその胡瓜の古漬けを出してくれた
「作ってみたの・・」
そう その味は母の実家に伝わっていた




母は亡くなる前姉のところに行ったのだが
「あそこに(一人では)もう住めない」
と自分の今までの家に帰りたいとは思わなかったようだ
亡くなる直前には 
「春になったら白河に行きたいんだけど
 それまでに起きられるようになりますか」
と よく言っていた
その度 最後に診てくださっていたお医者さんは
「大丈夫ですよ 行けますよ」
と言ってくださった



先日 夫の運転で出かけたとき実家の近くを通ったので
すぐ近くまで入ってもらった
自転車で行けば10分もかからずに行ける距離なのだが
家を隣の人に渡してからは 前を通ることを躊躇していた
隣との境のブロック塀はは取り払われ車が入っていた
震災では近くの瓦屋根が大分壊されたのだが 修理したのか 昔のままの屋根だった

家は昔のままの姿でそこにあったけれど
自分たち夫婦で建てた家に 母は戻っていない
という気がした



はて 母はどこに戻るのだろう
東京の長男のところだろうか
最後を過ごした姉のところだろうか
いえ 
きっと母は白河の実家に戻ったのだろう
あの胡瓜の古漬けのあるあの家に


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