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2009.12
14

TB:0
09:52
Category : 思ひ出
おキンちゃんは 結婚しました
もう第二次世界大戦は始まっていました
そして 2年後に生まれた姉を連れて 父と満州に行きました

父にどうして行ったの?と聞いたことがありました
「何か一旗あげたい って思ったんだよな」
と言いました
父は 石橋をたたいても渡らないような慎重な人だと思っていたので その言葉は驚きでした
満州のことについてはほとんど分かりません
その地で もう終戦も間近になっていたのに父は召集されロシアに抑留されました

おキンちゃんはその後生まれた男の子と満州から3人で引き上げてきたのです
父の仕事場の人たちと一緒に帰ってきたので 子どもを手放すとか危険な目にあったことはなかったようですが それでもそのことについて あまり話しませんでした
ただ チチハルというところに住んでいて 終戦となり 新京へ逃げてきた時 将校だった人たちが逃げた後その家に一時入ったのですが ご飯を食べている最中に逃げたらしく そこには白いご飯と絹の布がたくさんあって びっくりしたこと 
女と見られると危ないので 髪を切った人がいたこと
子どもを盗まれて 半狂乱になって探した人がいたこと
お金を数えていたら ロシア人が入ってきて 急いでしまったこと
そんなことは 時々話してくれました

ただ 本当につらかったことは 言わなかったと思います
TVで 引き上げの様子のドラマがあったときにポツリと あんなもんじゃないと言ってましたから

それでも 無事二人の子どもを連れて帰ってきました

そして実家の染物屋に身を寄せました
日本全国 貧しい時代だったのです
子ども二人を連れていれば 肩身も狭かったと思います

つい最近 従兄弟の新盆のとき 親戚の私にもぜひ来て欲しいと案内があり出かけました
従兄弟たちが集まった中で その時母が 納豆売りをしたと聞きました
それは初耳でした
もしかすると そのことは父にも最後まで言わなかったのではないかと思うのです



父が帰ってきてからなのですが おキンちゃんはこの後 とっても悲しいことに遭います
満州から連れ帰った男の子を亡くしました

それから十何年か後のお盆のとき 迎え火を炊きながら これを聞くのは酷だなあと思いながら聞いてみました
「兄ちゃんが死んだとき どう思った?」
「うん 一緒に死にたいと思ったよ」
ゆらゆらした小さな炎が おキンちゃんの顔を照らしていました

 
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